発表されました。
http://www.springs.jp/
チームを去る人、予想より少なかったともいえますが、予想通りともいえる。
満永が退団です。本人からのメッセージを読む限り、
体調が良くなかったようですね。長崎で暮らすとのこと。
そして、またもしかしたら?というような含みを多少残す内容でした。
満永といえば、98年第4回Vリーグ。
入社3年目にライトに抜擢され、そのそつのないプレーで
”新人とは思えない!”と言われ、新人賞も取りました。
そして、その後全日本にも行き、世界選手権では、
はつらつとした笑顔で一躍人気者になりました。
ネット界でも、たまにファンの掲示板に顔を出したりしたことで、
その人気はさらに加熱。まぁ、色々あったようですが・・・
その変化はいつから始っていたのでしょう?
シドニーオリンピックの出場権がかかった大会での敗退、
もしかしたらこれが小さなきっかけだったのではないかと
勘ぐってしまうのですが、どうでしょうか?
この試合に負けたら終わりというクロアチア戦。
タイムアウト後の攻め方について、葛和監督から指示がでてました。
「センター流れて、ミツが切り込む」。これ、決めれなかったんですよね。
後で、中田は、”葛和さんの指示ミス”とまで言ってました。
”そんな言い方しないでよ。誰もが自分みたいに強いわけじゃないんだぞ、久美!”と
思ったりしました。
ちょうどその2000年はダイエーが若返り、アビさん・鶴田を中心とした
チーム作りをしだした1年目。
次の年のVリーグでは、準優勝。この頃はまだ、笑顔の似合うミツだったから、
その後かな?久光が統合されてからか・・・?
なんかおかしくなりました。明らかに笑顔が減ってしまった・・・
もしもの話しはないと言っても、想像してしまうことがあります。
もしも満永がダイエー入団時の志通り、セッターをやっていたらどうなっていたんだろう。
もしも満永があのセンターからの攻撃を決めていたらどうなっていたんだろう。
もしももしも・・・考えても意味ないんですが。
2回の優勝。特に、
2002年の優勝は私にとってはものすごい思い出です。
なんたって、決勝大会2泊3日、バレー見に大阪行ったんですから!一人で(笑)
三連戦の初戦、パイオニア戦での満永の活躍が今でも心に残っています。
笑顔が少なくなっていたミツだったけど、あの日ミツが活躍したから、
優勝できたんだと思ってる。優勝後の写真撮影時に、なかなか仲間に入れないミツを
つるじさんやリンが”ミツ、何してんの~”って仲間に引き込んで写真撮ってて、
あぁ~、今でもあの光景思い出すと、胸が熱くなるなぁ。
あのチーム最高!って思っちゃう。
ミツ、とにかくありがとう、そして、これからの人生楽しんで。
そして、またいつか、バレーをしているミツに逢える日がくれば、その時は応援します。